お金が無い時の悔しい思いが、お金を稼ぐモチベーションとなる。

お金が無い時の悔しい思いが、お金を稼ぐモチベーションとなる。

忘れたいのに未だに頭から離れない記憶ってないですか?

私は基本的に嫌な事はすぐに忘れるようにしています。そうでもないと人生しんどいんですよね。そんな話、人に聞かせても面白くないし、どうせ嫌な話をするなら、それを笑いに持っていきたいと思っているくらいですから。

そんなお気楽な感じで生きてきた私ですが、未だに何故か強烈に忘れられない記憶がありまして。それを辿っていくと、ある共通点があることに気付いたんです。

それは、

お金が無かったことで、悔しい思いをした時の事。

みみっちい男と思われるかも知れませんが、今から言う話は、全て自分が蒔いた種ということ。人のせいにはしてませんよ。ただ、一生忘れられないでしょうね。

何故?って。その時の悔しい気持ちが今の私のお金を稼ぐモチベーションになってるからです。

いつか見てろ!と思いながら15年以上も前の話なんですがね(古っ)今こうやってキーボード打ってても、胸が張り裂けそうになります。

武勇伝ではないですが、私にもそんな事があったんだというお話をします。

20代前半の起業失敗

これは性格なのかも知れませんが、何故か私は人に雇われるというのが嫌で。とにかく何か手っ取り早く起業できる商売はないか?って探してました。

甘かったんだと思います。起業はカッコイイみたいに思ってましたからね。

で、あの頃ってホームページとかもそれ程なかった時代。そこに目をつけた私はyahooの縮小版みたいなのをやろうと考えたわけです。「地域の発展を願う地域密着型サイト」ってフレコミでお店や会社などを回って、サイトに月契約で掲載してくれるところを営業して回ってました。

今思えば、何が地域密着型サイトじゃ!って思いますが、とりあえずそう言っとくと反応も良かったんですよ。まだ、若かったんですが、店主に可愛がってもらって、契約さえ取れればこっちのもんじゃ的な。変な愛想笑いで良い人ぶって、店を回ったのを覚えています。

紙の媒体が盛んだった頃ですから、反応が良くて契約も結構取れましてね。私は調子に乗って、2人雇って、事務所を借りてって、もうこれから売上は伸びてくんだから大丈夫だろうっていう感じでどんどんお金を使っていったんです。

接待とかで夜のお店に行ったりね。

今、思えば調子こいてたんだと思います。典型的ですけど。

そうなってくると周りが見えなくなるというか、他社がどういう事をしてるのか?って事も考えなくなりました。契約取れてるから大丈夫みたいなね。まさか、うちみたいな会社の真似事をやるとも思ってませんでしたし。

そしたら、競合他社のA社が突然、似たようなサイトを有名企業のスポンサーをつけて始めたわけです。そうなってもまだ、まだ私は余裕こいてました。でも、ライバル会社っていっても、私より20歳も上の社長がやってるわけですから、やっぱり何もかも上手なわけですよ。

その会社は、私が契約した店を狙って、無料で掲載していったわけです。この頃から、物凄い焦りというものを感じるようになりました。どこへ行ってもAさんとこは最初、無料で掲載してくれるよ!と言われるようになりました。

競合が出てきて、ほんとあっという間だったと思います。簡単に取れていた契約が取れなくなり、そして社員に仕事もなくなり、給料が遅れるようになり、事務所の家賃も払えなくなりました。

絶対に事業を辞めたくなかった私は、とにかく事務所の家賃だけでも払おうと、2か月の滞納分を払うということで、一度不動産屋を事務所に呼びだしました。

すると、一人見覚えのある顔がいたのです。

それは、あの競合他社A社の社長と一緒に来たのです。どういう理由で一緒にいるのが分からなかった私は、とりあえず事務所の家賃を差し出しました。しかし、不動産屋は

「今もらった家賃はここの退去費用に回すことになるでしょう。今月中に家賃1か月分を払ってすぐに出て行ってください。」

私は爆発しそうな感情を抑えながら、こう言ったんです。

「滞納分払ったわけだし、今すぐ出ていけって、そんなの契約書にも書いてないでしょう」と。

すると不動産屋は半笑いでこう言ってきたんです。

貧乏人が商売なんかやりなさんな!どうせあんたじゃヨソさんに潰されて終わり。とっとと出て行け!

不動産屋といっても社員は10人近くいる会社の社長がですよ。契約書なんか関係ない、早く出ていけと引きません。結局、事務所から退去すると同時に事業の継続を諦めました。どっちにしても事業継続していくだけのお金も力もなかったわけですから。

確かに家賃を滞納した私が悪い。それは事実です。あの時にお金さえあれば、不動産屋にあんな事を言われる必要もなかったし、言い返すこともできたのに。

後から分かったのですが、競合他社のA社の社長は、どうやら、うちの最期を間近で見たいということ、こちら側の社員から色々話を聞く為に、古くから付き合いのある不動産屋に頼んできたのでしょう。

あれから10数年経ってますが、実はこの不動産屋の社長と競合他社A社の社長はまだ生き残っています。なので、あの時の2人が事務所に来て退去を私に迫ったことは、間違いではなかったのかも知れません。

でも、お金が無かった為に出ていかざる負えなかった、事業を辞めざる負えなかった、あの時の悔しい思いを私は未だに忘れられません。必ずや成功して、その2人の社長の前に現れようと思っています。

借金を返す為に派遣として働いた2年間。

ギャンブルでクビが回らなくなっていた私は、もう一度復活したいという起業の道を諦め、一旦就職することにしました。

しかし、若い時に起業し、その後復活するためにバイトばかりをこなしていた私には、資格も経験も誇れるものなく、簡単に就職できる状況ではありませんでした。

そこで、私は簡単に応募できる派遣を選んだのです。

派遣はほんとにびっくりするくらい簡単に仕事が決まりました。それからすぐに日勤、夜勤の交代勤務につくことになったわけです。まぁ、2年我慢して借金返して辞めてやろうなんて甘い考えでいたわけですが、後に私は、派遣と正社員の待遇の違いに苦しむことになります。

派遣に入って気づいたのですが、派遣の仕事は「誰にでもできるけど、単調な仕事」です。特に工場の仕事は、例外なくそうです。要は単調過ぎて、正社員として雇っても辞められると困るので、派遣にやらせている面もあるわけです。

この単調な仕事が当時の私にとっては本当にキツかったです。

顕微鏡で基盤の断線などを見るのが仕事だったのですが、これがまだ1日8時間だったらいいです。残業含めると12時間近く会社にいることになります。

これだけで私はノイローゼになりそうでした。昼と夜の交代勤務ともなると、1週間で昼夜を逆転させなければいけません。精神的に潰されそうな日々を過ごしましたが、最初に派遣に入った時に絶対に成功するんだという誓いを立てて入ったわけです。そうやすやすとは辞めることが出来ません。

仕事自体は慣れというものもあり、我慢できるようになったのですが、その頃からどうにも正社員の人たちの派遣の扱いに段々我慢できなくなってきました。

窓ふきや掃除、定時までにこなせなかった残りの仕事を平然と派遣に押し付けるようになりました。

特に芸人の千原〇〇に似ているB君。彼には派遣社員の人たちは結構やられました。我慢はしていたものの、少しずつ嫌がらせをしているようにも見えたんですね。

で、ある日の午後、職場のリーダーが私にこう言ってきました。

「B君が結婚する事になりました。課でお祝いを出し合う事になったので、1000円出してもらえませんか?」

B君というのは、最近派遣に嫌がらせをしてきてる野郎です。

私は即答しました。

「B君に出すお金?そんなお金あったら捨てますね。」

そのリーダーが苦笑いで、その場からいなくなったわけですが、私が言ったのを皮切りに、派遣の人たちが全て断っていました。

ざまぁ。

そのくらいにしか思っていませんでした。すると、数日後、そのB君が私に近づいてきて、こう言いました。

「お祝い出せないなんて、貧乏なの?俺がリーダーになったら、お前ら全員クビにしてやるから」

すぐに掴みかかってボコボコにしてやりたい気持ちがありましたが、思い留まりました。派遣で働いている目的を思い出したから。でも、あの時、お金さえあれば今すぐにコイツをボコボコにして辞められるのにと、思っていたのも事実です。

お金さえあれば。お金さえあれば。

お金がないことはこんなにも我慢しなければいけないことなんだと思い知りました。結局、私は我慢して2年間派遣として働いて無事に辞めることができたわけですが、その頃には社員のB君は、主任にまで昇進していました。

辞める時、彼は目も合わせませんでしたが、いずれ成功した時には一目見に行きたいと思っています。

この時の悔しい思いが今の自分を支えている。

この2つの出来事は一生忘れることはないでしょうね。

でも、今思えばこの出来事があったからこそ、今のお金を稼ぎたいというモチベーションになっているのも事実です。

お金だけが幸せじゃない。それは分かります。

しかし、そんなのはほんとに稼ぎまくった後に言うセリフです。あの時の悔しさをバネに今は頑張っているわけですが、いずれはこの話に出てきた3人を見に行くことになりそうです。

必ずや成功して。